アイナ・ジ・エンドさんが、2026年9月13日放送の『日曜日の初耳学』に出演しました。
番組には大阪の実家から実母もリモートで登場します。母娘がトーク番組で共演するのは初めてです。
アイナさんの母親は、若い頃に歌手やアイドルの道を目指した人物です。番組表では「やすこさん」と紹介されています。
では、本当に元アイドルだったのでしょうか。
そこで今回は、アイナジエンドさんの母親の名前や経歴、娘へ与えた影響を調査しました。
この記事で分かること
- アイナジエンドの母親の名前
- 母親は本当に元アイドルなのか
- 4歳からダンスを習わせた理由
- 歌手を目指す娘の上京に反対した理由
- アイナジエンドの両親と家族構成
アイナジエンドの母親・やすこさんはどんな人?

アイナジエンドさんの母親は、番組表で「やすこさん」と紹介されています。
ただし、確認できるのは平仮名の名前だけです。
名字や名前の漢字、芸名などは公表されていません。
やすこさんは、若い頃に歌手やアイドルの活動を経験しました。東京へ出て歌手を目指した時期もあったそうです。
性格について、アイナさんは「めっちゃ少女」と表現しています。
よく話すため、家庭では「一人ラジオ」のような存在なのだとか。
洗濯や洗い物をしながら、即興の歌も作っていたそうです。
一方、家にコウモリが入った時には、懸命に子どもを守りました。
にぎやかなだけではなく、いざという時には頼れる母親だったことも伝わります。
アイナジエンドの母親は本当に元アイドル歌手?
結論からいうと、母親にはアイドル歌手として活動した経験があったと、アイナ・ジ・エンドさん本人が語っています。
2025年の東京すくすくのインタビューでは、アイナさんが母親について「母はアイドル歌手でした」と説明しました。
同年のJ-WAVEでも、「アイドル歌手みたいなことをやっていた」と振り返っています。
さらに2015年には、自身のXで母親を「元歌手」と紹介していました。
一方、2026年の『徹子の部屋』では、母親について「アイドルを目指していた」と語っています。
本人の説明には少し言い方の違いがありますが、母親が若い頃に歌手やアイドルの活動をしていたことは確認できます。
ただし、芸名や所属グループ、レコード会社、デビュー作品などは公表されていません。
そのため、母親がアイドル歌手として活動した経験は確認できますが、有名グループのメンバーだったなど、具体的な活動歴までは分かっていません。
「元アイドル」と聞くと、つい所属グループまで気になりますよね。
ただ、現在分かっているのは、母親も若い頃に歌手という夢を本気で追っていたというところまでです。
母親・やすこさんがアイナジエンドに与えた影響

母親の歌手としての経験は、アイナ・ジ・エンドさんの幼少期にも大きく関わっています。
ダンスを始めたきっかけから、家の中で当たり前のように歌が流れていた環境まで、現在の表現活動につながるエピソードがいくつもあります。
ここからは、母親がアイナさんへどんな影響を与えたのか見ていきましょう。
活発さを強みに変えようと4歳からダンス
アイナさんは幼い頃、木登りをするほど活発な子どもでした。
母親はその落ち着きのなさを弱点と決めず、強みに変えようと考えました。
そこで、アイナさんを4歳からジャズダンスへ通わせています。
母親自身には、若い頃に歌手を目指しながら夢をかなえられなかった経験がありました。
アイナさんも『徹子の部屋』で、母親が「かなわなかった夢のかけら」を娘へ託すようにダンスを習わせてくれたと振り返っています。
ただ、それは一方的な期待だけではなかったようです。
アイナさんが踊ったり歌ったりすると、母親は自分のことのように手をたたいて喜んでくれたといいます。
「お母さんが喜んでくれる」という感覚も、幼いアイナさんが表現を楽しむ原動力の一つだったのでしょう。
夢を押しつけたというより、娘が楽しそうに表現する姿を一緒になって喜んでいた。
その関係が、今のアイナさんにつながっていると思うと温かいですね。
生活の中にいつも歌があった
2015年、アイナさんはXで母親を「元歌手」と紹介しました。
母親は洗濯物を干す時も、料理をする時も大声で歌っていたそうです。
アイナさんは、その影響で自分も場所を選ばず歌ってしまうと明かしています。
2025年のJ-WAVEでは、歌うことへのハードルがなかったとも話しました。
歌は特別な時だけ披露するものではありませんでした。
母親が話すように歌う家で、音楽は生活そのものだったのでしょう。
あの唯一無二の歌声を母親だけの影響とは断定できません。
それでも、声を出して表現することを自然に楽しめた家庭環境は、アイナさんの原点の一つといえそうです。
歌手を目指すアイナの上京には反対していた

母親は娘にダンスを習わせましたが、18歳での上京には反対しました。
アイナさんは大阪の近畿大学に合格しており、母親は入学金も支払っていました。
母親は大阪を離れず、安定した道を歩んでほしかったようです。
一方、父親は「人生は一度だから」と背中を押し、東京での家探しも手伝いました。
『初耳学』の予告では、母親が娘の歌を一度も褒めなかった理由にも触れています。
歌手を目指す娘を案じていたからだと紹介されました。
4歳から才能を育てた母親が、夢へ踏み出す時にはブレーキをかけたのです。
一見すると矛盾しているように映ります。
しかし母親自身も、東京で夢を追い、かなわず大阪へ戻った経験があります。
華やかさだけではない世界を知っていたからこそ、簡単には送り出せなかったのかもしれません。
娘の羽を広げた人が、飛び立つ瞬間には誰より心配したのでしょう。
反対の奥にも、母親なりの守り方があったことがうかがえますね。
アイナジエンドの両親・家族構成

アイナ・ジ・エンドさんの家族は、父親・母親・アイナさん・妹の4人です。
父親はカメラマンとして仕事をしており、以前は漆塗りの仕事にも携わっていました。
アイナさんは、父親について寡黙な人だったと振り返っています。
一方、母親は家の中でもよく歌い、会話も多い明るいタイプです。
アイナさん自身も、母親から受け継いだものとしてその明るさを挙げています。
静かな父親と、にぎやかな母親。
性格は対照的ですが、どちらもアイナさんの感性に少しずつ影響を与えてきたことが伝わります。
また、妹のREiKAさんはダンサーとして活動しています。
アイナさんのライブでバックダンサーを務めるなど、姉妹で同じステージに立つこともありました。
母親の歌、父親の美的感覚、そして姉妹のダンス。形は違っても、表現することが身近にある家庭だったことが分かります。
家の中に歌があり、父親のものづくりがあり、姉妹にはダンスがあった。そんな日常そのものが、アイナさんの感性を少しずつ育てていったのかもしれません。
アイナジエンドの母親まとめ
- 母親は番組表で「やすこさん」と紹介されている
- アイナさん本人が、母親について「アイドル歌手でした」と語っている
- 芸名や所属グループ、詳しい活動歴は公表されていない
- 4歳からダンスを習わせ、表現する楽しさを育てた
- 娘の上京には反対したが、自身の経験から将来を心配していた
アイナ・ジ・エンドさんの表現は、母親の夢をそのまま受け継いだものではありません。
それでも、家の中でいつも歌い、踊る娘を喜んで見守っていた母親の存在は、今のアイナさんにつながる大切な原点の一つだったのでしょう。


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